精神疾患者の人生物語「⑤社会人編(1社目)」

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みなさま、こんにちは。

 

ちっぽけな小さい自分を直視するのはとっても苦しいデスね…
でも、前を向いて生きていくために泥臭くともとことんみつめていきたいと思います。

 

今回から、ぴよたま氏の人生物語は社会人編に入ります。

 

サラリーマンとして働き続けメンタル疾患に陥りましたが、今振り返ると新卒で入社した会社での経験がその後の僕の常識となり、ひいては社会に対する恐怖心に膨らんでいったと思います。

 

振り返るのはここが一番しんどかったです。

 

それでは、お付き合いの程よろしくお願いいたします。

 

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環境

両親と3人暮らし(姉は実家を出て同棲、その後結婚)
大学院修士課程を修了後、本社が関西にある半導体メーカーの開発部へ就職。
はじめて、親元を離れ生活環境は大きく変わった。
入社後の2週間は、関西本社で研修(ホテル住まい)
その後は、東海地区の子会社へ出向(新卒者はみな同じウィークリーマンションで生活)
4月に入社したが、10月くらいには退職。
彼女とは付き合い続け、身の回りのことなど不慣れな一人での生活をサポートしてくれた。

エピソード

大学院の時に進路で悩んだ件

量子力学に魅了され、とことん没頭した。修士課程からさらに博士課程まで進むことも悩んだ。
しかし、工学部ではなく理学部で博士まで進学することは将来、大学の中で生きていくことを意味するのだと思った。

 

それは一般社会とは縁がない研究者として生きていくことを意味しており、それが恐ろしかった。一般の社会人として、色々な人と繋がったり、家庭を持ったりもしたい。
そして、何よりも研究者として通用するのかと自信が持てなかった。

 

そんなワケで、企業に就職することを選んだ。

 

しかし、産業発展に寄与することを主目的とした工学部と異なり、僕が勉強していたのは純粋な学問としての位置づけの理学部。
その中でも、実験などのリアルな現象を扱うものではなく、基礎理論。
物理学の根っこも根っこの、量子力学だった。

 

勿論、根幹部分においては人間の生活を豊かにするbreakthroughをもたらすことも期待されるが、大学院でたかだか2年程度勉強しただけの僕などは、その学問の領域の入り口の景色すらみれているのか甚だ怪しい。

 

社会の企業に対して、即戦力として世の中にアピールできる専門性など僕には皆無だった。

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推薦を利用した件

僕は大学院でやってきたことに対して、打ち込む姿勢や気持ちに対してはもの凄い情熱や自信を持っていた。

 

しかし、世の中の一般企業は、修士卒の就職者に対して具体的なスキル、活躍できる専門性が求められた。僕は、そこをアピールする自信が全く持てなかった。
あなたが大学院で勉強したことが一体、具体的にどのように弊社に貢献するの?という質問に対して、僕は明確な回答を持っていなかった。

 

そんな思いを抱く一方、僕は国立の大学院修士まで出た人間が就職する適切な会社とはどんなところなのだろうかと意識するようになった。
相応のレベルの会社に自分の実力で合格できる自信がまるでなかった。そんな中、大学に企業が募集してくる推薦制度を活用した。

 

僕はそれまでに推薦は自分本来の実力ではなく何となく邪道な気がして、大学受験とかを推薦で来る人を何となく馬鹿にしていたので、この時は自分が情けなく虚しかった。
それでも、何とか一流企業(?)に就職したいと思ったのは、やはり両親や姉を意識してだと思う。
本当に、コンプレックスが本当にエグイ…

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大事件!!(人事に恫喝された件)

今もあるのかな?当時、就活生のみんなが知る情報共有で利用する掲示板があり、その掲示板の中に、僕が推薦で行こうと思っていた会社の噂話を目にした。
それは、入社後に今年の新入社員は関西本社ではなく、東海地区の子会社に出向させられるという話だった。

 

今となっては、バカバカしいけれども、その時の僕は関西本社の採用なら入社難易度的に満足だったけど、東海地区の子会社は難易度が低くなるので、僕は入社後にその子会社の社員という扱いになるのではと心配していた。
学生は、結構そういうクダラナイ体裁を気にする人間が少なからずいるもので、僕もそんな人間だった。

 

僕は、東海地区に行くのかどうか心配だという投稿に対して、僕も心配なんですよねと同意する意図を持つ文章を投稿した。

 

推薦とは言え一応面接があり、僕は後日、関東地区から関西地区の本社へ面接に行った。

 

そして面接終了後、他の学生が帰っていく中で、僕だけが人事担当に狭い個室に呼び出された。
そこで、

 

「匿名やけど、自分掲示板に書き込んでるやろ。他の学生たちが混乱するようなことをしてくれてええ加減にせえよホンマに。ほんで、今日の面接も自分全然あかんかったし。なめとんか。」

 

と言われた。今思えば学生とはいえ、まだ会社の人間になった訳ではない外部の人間に対して完全に見下した態度をとる姿勢に毅然とした態度で反論するべきだったが、当時は学生で何も分からなかった為に、真っ青になりただひたすら申し訳ありませんでしたと謝罪をし続けた。

 

大学に引き上げた数日後。推薦で受験したので教授あてに面接結果が届いた。

 

合格」と。。

 

世の中の汚い部分など、これまでに全くみたことが無かった為に酷く衝撃を受けた。

 

家族会議でどうするべきかと相談したが、その人事ひとりで判断するのは勿体ない。良いところだって必ずあるはずだという父のアドバイスを受けて入社を決意した。

 

いや、むしろ推薦以外で別の会社に合格できる自信が全くなかったので、完全に妥協をした。

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成績順に並ばされた件

入社後、技術職の僕ら新卒者は東海地区の子会社にて、本社採用の人間と子会社採用の人間が合同で、毎日半導体の製造プロセスや電子回路等の基礎座学を受けた。
そして、座学の後に必ず、筆記テストがあった。

 

そして、小学生の学習塾のように成績順に並ばされ、得点は部屋の壁に棒グラフとなって貼られた。

 

僕は全力を出して、何とか最初は上位に位置していたが、徐々に成績順が下がっていき下半分となった。
ちなみに、関西の本社採用と東海地区の子会社採用の新卒者で、綺麗に本社採用者が上位を占めていたが、次第に子会社採用側の平均順位程度まで僕は落ち込んでいった。
本社採用内での順位ではブービー賞だった。

 

そんな中、累積の成績が1位だった人がインフルエンザで休んでしまった。その休んだ期間は彼の点数は0点扱いとなり、戻ってきたときには僕よりも下の順位まで落ち込んでいた。

 

研修を運営する人事は、

 

「穴をあけてしまうと損失となる。(順位が下がることは)厳しいが、それが現実だ。」

 

と言っていた。僕は、会社というのはチームとしてあいた穴はみなでフォローするバックアップ体制をとることが安心して働ける仕組みだと考えていた。
しかし、新卒の僕にそんなことを意見することが出来る訳もなく、掲示板の件もあり、とにかく弱みや自分の思いをひた隠しにするようになっていった。

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父親や母親にも責められた件

情けないと思いつつも、両親に仕事の苦しみを打ち明けて相談した。
父親は、「お前が本気になっていないからだ。本気で打ち込めば、悩む暇なんてなくなる。お前は甘い。」と言われた。その通りだと思った。

 

父は、僕が知る限り日付が変わる前に帰宅することはまずなかった。そんな人からみれば、僕の今の環境はなんて生ぬるいものなのだろうか。自分が本当に情けなかった。

 

第一、それなりに大きい企業で環境も整備されている。
今の環境で仕事が出来ないのであれば、自分には何にもできないと思い絶望的な気持ちになった。

 

母からも、「あんたはいつも愚痴が多い。直した方がいいよ。」と言われた。
その通りだと思った。

 

でも、ついにある日、泣き崩れながら、もう息が出来ないと漏らした。
その時にそれまで、𠮟咤激励してきた両親だったが、その言葉を受けて辞めることをアドバイスした。
自分も限界だった。

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大事件②!!(辞表を出した日の事)

座学終了後は、本社採用組のみ開発部で大学の研究テーマのように、データ収集して結果をまとめる形のOJTを実施していた。そんなある日の朝礼の後、僕は課長に辞表を出した。

 

それまで、非常に険しい般若のような顔をしていた課長がはじめて慌てふためき弱気な表情を浮かべた瞬間が今でもとても印象に残っている。

 

その日のうちに、関西本社から副本部長が僕のいる東海地区までやってきて考え直すように説得してきた。

 

会議室では、僕が仮所属していた課長と次期部長になるっぽい隣のしまの課長と、副本部長の3名に僕は囲まれた。

 

副本部長だけが話をして、2人の課長は借りてきた猫のようにおとなしかった。
副本部長に「何が辛いんだ。いってみろ。」と言われ、僕が辛い思いを伝えると、
「そんなことはない。それは、お前の勘違いだからその件は全く問題ない。その点はクリアだ。他にはどんな辛いことがあるんだ。」と詰め寄ってきた。

 

僕は、しどろもどろにいくつかの辛い点を挙げていったが、いづれもお前の勘違いだから問題自体がそもそもないというのが副本部長の結論だった。

 

会議室は非常に重苦しい雰囲気だったけど、僕は勇気を振り絞り、そもそも今とても緊張していて、お腹が痛いと伝えた。
すると副本部長は、「緊張する必要などない。緊張するお前がオカシイ。緊張するような問題は何処にもないから大丈夫じゃないか。なぁ○○!」と隣の課長に話を振った。
課長は、飛び上がって「ハイ!」と元気よく答えていた。

 

最終的には、副本部長はイライラした態度のまま研修後の配属先のポストは開けておくからな。待ってるぞといって部屋を出ていってしまった。
どちらかの課長が副本部長が出ていった後に「息が詰まるな...」と漏らした。

当時を振り返って思う事

就活時に出会ってしまった恫喝してきた人事と、辞表を提出した日の副本部長の態度から、会社や社会というのはこういう世界なのだと僕は学び、それが僕の常識となっていった。

 

また、両親・姉や中学時代のバレー部のメンバーに対する劣等感が強いこともあり、苦しい環境でも我慢して取り組める人間=優れた人間であり、自分がこの先目指すべき道は厳しく、苦しい道になるという価値観が形成されていったと振り返る。

 

そして、それができずに体調を崩したりすることは自分が未熟だからだと認識するようになった。

 

この頃から、中学で部活をやっていた頃と同様に、心から笑うことが無くなっていった。

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最後に

今振り返っても、この時が一番辛かった。。。

 

中学以来、自分が抱えていた弱みが見事に露呈し、それまで顕在化しなかった傷口がズバッとひらいてしまったように思います。

 

今、ここまで冷静に振り返ることができるようになるまでは随分と長い時間が掛かりました。僕は、ありのままの自分を直視することで、何とか苦しみを克服しつつあるのかもしれません。というかそう願ってます💦

 

おっと、ちなみにもう別れてしまったけれど、当時の彼女が会社を辞める時にウィークリーマンションの僕の私物を全て段ボールに詰めてくれた。
それに、土日になると関東から毎週のように新幹線で来てくれて、料理や洗濯など身の回りのことをしてくれた。
思い出すと当時の何とも言えない気分が蘇るなぁ。

 

いかんいかん(^_^;)
もう過ぎた事なのに、なんだか愚痴っぽくなってしまったなぁ。
過去の愚痴を吐き出すことが目的じゃないんだった。
あくまでも、目的はこれからの人生をどのように生きていくかを考える為の棚卸しだった。

 

次回は、2社目の外資系企業の頃を振り返ってみます。
思えば、ここもかなり強烈だった…

 

そして、次の外資系企業に在職中に彼女と別れて、妻とも出会うんだよなぁ。

 

ではまた。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

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