面白い哲学【唯物論とか観念論とか】

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こんにちは。

 

今回は、哲学シリーズということでモノ(物質)の存在について徹底的に疑ってみたいと思います。

 

哲学というと何やらヤヤコシソウですが、なるべく簡単に優しく伝えてまいりますよ。そして、純粋に考えることの楽しさを知って欲しいと思います。

 

この記事で伝えたいコト:

  1. 単純に哲学の面白さを知って欲しい。(人生に役に立つとかは抜きにして)
  2. 当たり前すぎてそもそも考えたりしないことに対しても、実は「さっぱり分かってなかったやん自分(笑)」と感じる何とも不思議な感覚を味わって欲しい!
  3. 分からないことが沢山あるからこそ、色々と夢が膨らむしロマンやんねって
    思って欲しい!
  4. プラトンイデア論やら、カントのモノ実体やら観念論の面白さに触れて欲しい!

 

 

 当たり前を一度じっくり疑ってみません?

さて、いきなりですが皆さんはこちらの図形をご存知でしょうか?

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はい。勿論知っていますよね。正三角形です。
正三角形ってどんな定義か調べてみますと、こんなことが書かれていました。

正三角形(せいさんかくけい、英: equilateral triangle)は、正多角形である三角形である。つまり、3本の辺の長さが全て等しい三角形である。3つの内角の大きさが全て等しい三角形と定義してもよい。1つの内角は 60°(π/3 rad)である。また一つの内角が60°である二等辺三角形は正三角形となる。出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』  

まぁ、つまりはおんなじ長さの3個の線で構成されていて、それぞれの線を結んで出来る形のことですね。

 

学校での話はそこまでで、特にそれ以上は突っ込まないですよね( ´∀` )

 

でも、ちょっと待ってくださいよ(゚Д゚;)

 

正三角形には、おんなじ長さの3個の線が必要ってことですが、、、

 

そもそも、全く完璧におんなじ長さの線なんて世の中に存在するのでしょうか?

 

見た目は同じようにみえても、もの凄ーくわずかな差(0.0000...01mmとか💦)も全くないと言い切れる線なんて書けるんでしょうか?

厳密な正三角形を本気で考えてみる

勿論、手書きでは無理ですね。定規を使ったとしてもペンにかかる力加減で紙に伝わるインクや鉛筆の量にわずかな差が出てしまい誤差が生まれてしまいますので。

 

パソコンなどのデジタル画像ならどうでしょうか?

 

同じ長さに出来るような気もしますが、全く同じと言い切れる自信も今一つありませんね。

 

いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ(゚Д゚;)(゚Д゚;)

 

今更気づいたんですが、そもそも線って書けるんですかね?
だって線って一次元ですよね。。つまり、幅がないんすよ。

 

幅があったら、それはもはや線ではなく棒です。

 

あっ!そういえば、パソコンって文字とか絵も点の集合で表現しているんですよね?
解像度とかピクセルとか言ってたような。。

 

であれば、パソコンでも厳密な線なんて書けるわけもなく、僕らが真っすぐで幅がないと思っている線も厳密にいえば点の集合に過ぎません。

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幅がない線なんて、そもそも人間の目には見えません。

 

すると長さが全て同じ3つの線で表現される厳密な(!)正三角形などというものも、人間の目には当然見えないことになります。

 

僕たちが正三角形と呼んでいるのは、限りなく正三角形の完全体に近い形かもしれませんが、厳密な正三角形と言い切ることは出来ませんよね。
あれ?でも、そうなるとどうして僕らは正三角形のカタチを知っているのでしょうか?
本当の正三角形(完全体)をみたこともないくせに…

 

これまで本気で探求してきましたが、壁にぶち当たってしまいました。

世界一の科学者なら分かるか?

もはや、ここまでなのでしょうか…

 

さっきから頑張って考え続けてきた厳密な線や正三角形がどんな形をしているのかについて、どうしても知りたいです。

 

どうすれば、分かるのでしょうか?

 

僕の頭が悪いからでしょうか(´;ω;`)
めちゃくちゃ頭の良い人だったら、分かるのでしょうか?
頭が良い人=科学者だ!
超一流の優秀科学者ならば、この問題を僕に分かるように説明が出来るのでしょうか?

 

 

 

 

。。
。。。
。。。。

結論からいうと、残念ながら答えはNO!です。
何故か?

 

そもそも、科学とは一体どんな学問なのでしょうか?

 

科学とは、まず出発点としてこの世界にあるものだけを扱うという立場をとります。
そして、この世界にあるあらゆる物質は、原子と呼ばれる最小単位の集合体に過ぎず、原子の集合が様々な化学物質を作り、それらが細胞を構成して、脳を含めた人間の身体もまた、それらの集合体に過ぎないとします。

 

このような世界観は、唯物論と呼ばれます。
つまり、ざっくりいうと科学とは唯物論を前提とした世界にある物質を扱う学問なのです。

 

このような立場をとる科学では、どんなに頑張っても僕の疑問(厳密な線とか、正三角形)に答えることはできません。
だって、この世界にあるのか分からないものなど、科学からしたらそもそも前提から異なるサービス対象外品なんですから(´;ω;`)

 

一方、唯物論に対抗する哲学として観念論があります。

 

人間の目に見えない厳密な形を考える(線とか、正三角形とか)ことは、もはや科学の領域は超えているというワケですね。

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プラトン氏のイデア論で考えよう

繰り返しますが、僕たちは(厳密な)線とか、正三角形というものを実際にはみたことも触れたこともないのに何故それらの存在を知っているのでしょうか?(´ε`;)ウーン…

 

さて、ここからは代表的な2人の観念論哲学者に登場して頂き、更にじっくりと考えていきたいと思いますよ。

 

1人目のゲストは、紀元前のアテネに生きたプラトンです。
プラトンは、『国家』という著作が有名ですね。

 

 

わしら人間は、世界を構成している本当の理想的な実在を知らない。ちなみに、わしはこの実在のことを「イデア」と呼ぶことにするよ。

 

なんで、僕らは実在を知らないの?

 

人間がイデアを知らない理由だって?
その理由はね、、ココだけの話だけど人間は生まれながらにして洞窟の中に足枷をはめられて囚われた囚人のような存在だからさ。

 

僕ら人間は洞窟の壁しかみえない。
そして、僕らの真後ろに実在があって、さらにその背後から明かりが照らされているんだ。つまり、その壁には、本来の人の姿や山や川などの自然や、色、音などなど、ありとあらゆる実在の影が映っているのさ。

 

んなアホな…(゚Д゚;)
僕たちの目に映るものや聞こえるものや触れられるものは全て実在なんじゃないの!!

 

まぁ、そう思うのも無理はないよね。だって、洞窟の壁だけをみてきた僕ら囚人にとっては、壁に映る影こそがこの世界の実在だと信じて疑わないだろうからね。だって、背後の本当の理想的な実在(イデア)を一度だってみたことがないんだから。

 

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でも、さっきの話はどうだろう。棒ではなく幅を持たない厳密な線や、3つのおんなじ長さの辺で構成される厳密な正三角形だって決して僕らはみることができなくないか?
つまり、これは線のイデアや正三角形のイデアを僕ら人間はみることが出来ないということになる。

 

うーん。確かに、僕ら人間は勝手に科学という枠組みの中で線や正三角形の定義(ルール)を一応は決めているけれど、よくよく考えていくとそんなものあやふやでちっとも確実なものじゃないかもしれない…

 

分かってくれたかい。
さて、お話はここまででおしまいでもよいのじゃが、最後におまけでわしの書いた『国家』の宣伝を少しだけさせておくれ。

 

このわしの掲げたイデア論じゃが、これはもちろん線や、正三角形だけに限った話ではない。つまり、正義や美などありとあらゆる人間の観念には本当の理想的な実在が存在するということじゃ。(本当の理想的な正義→正義のイデア、本当の理想的な美→美のイデアがあるということね…)

 

そんで、わしは国家のあるべき姿とは、この本当の理想的な実在=イデアを探求し、そこに近づくことができる優れた哲学者を頂点(王)に据えたものだと考えておるのじゃ。もっと詳しく知りたい勉強熱心な読者の方は、是非本を読んでみてネ

 

成るほどね。確かに現代でも人の上に立つリーダーには信念やら哲学が求められるっていうもんな~

国家 上 (岩波文庫)

国家 下 (岩波文庫)

カント氏のモノ実体とは?

つづいてのゲストをご紹介したいと思います。
ニュートン力学が誕生した次の世紀を生きたドイツのカント氏です。

 

わしら人間の理性や感覚には共通の形式があるのじゃ。
例えば、わしら人間がモノをみるときは必ず『空間的』かつ『時間的』にみてるじゃろ。

え?(´・ω`・)エッ?まぁ。。そうですが。ってか、そんなの当たり前じゃないの?
それがこの世界の本当のカタチであることは疑いのない事実だと思うけど。

いやいや。そうとも言い切れんさ。例えば、人間とは全く異なる感覚器官をもった生物「X」がいるとしよう。その生物は、生涯何処にも移動せずにその場にとどまり続け、そこでひたすら口を開けて定期的に空から降ってくる餌を待っている。

そんな生物「X」の生きる世界では、「タテ、ヨコ、タカサ」という方向の概念は存在しないであろう。彼らにとってのモノ(餌)を、彼らは定期的に感じる「匂い」で認識するかもしれない。

すると、彼らにとっては時間の経過によって匂いが変化する一次元の宇宙というものが世界ということになるだろう。

まぁ、そんな得体のしれない生物「X」がいたとしてもさ。そいつらは世界を正しく認識できない憐れな種族ってだけじゃね?(笑)

いやいや。彼ら生物「X」を憐れんでいる場合ではないぞ。そんなわしら人間だって、彼らと同じ境遇ではないとどうして言い切れるのじゃ?

は?(´・ω`・)エッ?どういうこと??

だって、もしも仮にまた別の生物「Y」が存在するとしてだ。そいつらは、空間は5次元的に捉えていて、時間に加えて、別の単位「卍」もたいの要素もモノをみる上で欠かせないと主張するかもしれんじゃないか?

そして、君が生物「X」をあざ笑ったように生物「Y」も僕ら人間のことを本当の宇宙の仕組みを全く把握できない憐れな種族だと憐れんでいるかもしれんぞ。

真の実在というものは確かに存在する。プラトン氏がイデアと呼ぶその実在をわしは「モノ実体」と呼びたいと思う。しかし、モノ実体は人間の感覚や理性ではどうしても到達することができない。
それゆえ、「モノ実体」がどんなものなのかを議論することすらわしらには出来んのじゃ。

だからこそ、わしら人間には道徳、美や芸術といったものが価値を持つのじゃとわしは思う。

完ぺきな線(棒じゃなくて)や正三角形は、僕ら人間の感覚、理性では到達できない「モノ実体」という事だね。
なんだか、あたり前だと思っていたものなのにホントウの完璧なものって実は僕たちって何にも分かってないんだね。

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最後に

 

さぁ、ここまで僕のクダラナイおはなしに付き合って下さってありがとうございました。

 

今回のお話ですが、皆さまは、どのようにお感じになられたでしょうか?

 

今になって思えばこの様な話は、もう何十年も前に僕が物理学を学んでいた時に散々考えてきたことです。

 

もうほとんど忘れましたが、僕は学生時代に量子力学という学問を学びました。
量子力学は、科学の中でも基礎の基礎にとにかく深ーく潜っていく分野です。

 

一体どうしてだという点を追及していくアプローチはもはや科学の分野を超え出して、哲学的な領域にまで及んでいったりします。

 

僕は、当時そんな世界にロマンを感じひたすら魅了されていました。

 

コペンハーゲン解釈やら、多世界解釈パラレルワールド)やら、不確定性原理やら、波動と粒子の2重性やら、シュレディンガーの猫やら...

 

そして、今の僕は仏教の基本的な考えである『空』の概念にも深い興味を持っています(笑)

 

色即是空 空即是色
色(世の中のあらゆるもの)すなわちコレは空(何もない)のだ!
空(何もない)すなわちコレは色(世の中のあらゆるもの)なのだ!

 

今回お話したようなところがモノを考える原点になると思っています。
面白いと感じる方がいらっしゃったら、とても嬉しいデス。

 

量子力学編、仏教編も興味あったりします??
伝える能力が低いので簡単に伝えることはとても難しいですが、ちょっとずつ発信していきたいと思います。

 

楽しみに待っててね~(ドラ〇もん風)

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

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