面白い哲学【分かりやすい"空"の思想】

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以前書いた記事で、モノ(物質)の存在について徹底的に疑ってみました。


なんだか、僕らが当たり前に「ある」と考えていたもの(三角形とか線とか)が実は本当は「ない」というか、目に見えない(?)みたいな不思議なオハナシでした( ´∀` )

 

そんなワケあるかー(# ゚Д゚)
線も三角形も絶対にあるし、目にだってみえるんじゃい
(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)!!

 

とお考えの読者の皆さま。不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありません。
ですが、お客様。誠に恐れ入りますが、お客様が線と主張されるものも所詮は、幅を持った、「棒」なのです。
そんで、三角形は、3本の線で構成されるものなので、線がみえない以上、みえないもので構成される三角形もまた、どう頑張っても目にはみえない空想の産物なのですぜ…(どうだ参ったか^^;)

 

さて。ということで、まだ読んでくださる方は本編をみていって下さいネ。

 

今回の記事では、モノ(物質)について更にテツガクしてみますよ!
ではでは、よろしくお願いします。

自転車なんてモノ(物質)はない

モノ(物質)について、今一度じっくりと考えてみましょう。
例として、自転車を考えてみたいと思います。

 

自転車は、実際にみたり触れたりできるモノ(物質)であることは明らかだと思いますか?
いやいや、少し立ち止まって考えてみましょう。

 

自転車っていう確かなモノ(物質)が本当に(絶対に)実在しますか?

 

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ですよね…当たり前のこと過ぎて欠伸が出るほど、退屈ですか(´Д`)?

 

それでは、次にこの自転車をバラバラに分解してしまいましょう。
あれ?すると、不思議なことが起こります。
さっきまであったはずの自転車が無くなってしまいましたじゃないですか???
これって不思議じゃないですか?

 

ちなみに先ほど、僕が自転車だと指さしていたのはハンドルのあたりでしたが、このハンドルが自転車というモノ(物質)の実在だったんですかね?

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いや。もちろん違いますよね…ハンドルもサドルもペダルもタイヤも自転車の一部だけど、自転車そのものではない。
どうやら、自転車を自転車たる確固たるカッチカチなモノ(物質)なんてどこにもみつからないようです。

 

僕たちにとっての自転車とは、ただ単に、"ハンドルやサドルやペダルやタイヤを構成要素にもつ、人間が漕ぐことによって移動することが出来る乗り物のひとつ"という観念的なものに過ぎず、「自転車という確固たるモノ(物質)」など世界のどこにも存在しないことが分かりました。


(´ε`;)ウーン…(棒ではない)線がみえないんだから、3本の線で構成される三角形などみえないって話と言い、自転車ってモノ(物質)がないとかいい加減にしてくれぃ(笑)!!

モノ(物質)自体がどこにもない!

まだ、止めません(笑)
つづいて、自転車の構成要素であるハンドルならば、実際にあるんでしょうかね?
もう、予想はつくと思いますがそうなんです。予想通りです!無いんですよ…

 

自転車というモノ(物質)が無いのと同様に、ハンドルというモノ(物質)も実在などしません。ハンドルは、"構成要素として鉄やアルミがある形状をなして、人間がのりものを操縦する時につかむことのできる性質をもつもの"という観念的なものに過ぎず、「ハンドルという確固たるモノ(物質)」など世の中のどこにも存在しません。

 

続けて、ハンドルの構成要素である鉄(鉄原子)はモノ(物質)と言えるのでしょうか?
ここまでくれば、鉄は物質だと言いたいのが人情というものですが、哲学は手厳しいです。
いくらバカバカしくても、考えることを放棄して感覚でものを言うことを全く許してくれません。

 

涙をながしながら、考えてみましょうよ。鉄原子ってモノ(物質)なんでしょうかね(´;ω;`)?
よく分かりませんが、鉄原子をはじめとするあらゆる原子ってモノも「原子核」と「電子」という要素から構成されているみたいなんですよ。つまり、原子核と電子という集まりによってできたある性質に対して、人間が便宜上「鉄原子」という名前を付けただけに過ぎず、やはり鉄原子という確固たるモノ(物質)は存在しないようです。

 

はい。エンドレスなんですよ。つまるところ、僕らは「ある要素の集まりからある部分だけを切り出して名前を付けて他と区別している」だけであり、その要素の集まりである名前のモノ(物質)自体が普遍的に独立して存在しているとは言えないのです。
これって凄い不思議じゃないですか?

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ラッパー【般若】の楽曲【フェイク】に空の思想をみる

般若 フェイク 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 

僕が大好きで衝撃を受けたラッパー【般若】さんの楽曲には、色々と考えさせらたり、胸を打つ歌詞が多いのですが、その中でも'空の思想'を歌っていると思われる個所を引用しておきます。
彼は、【フェイク】のラストで、以下のように歌っています。

レザーもフェイク バックもフェイクバストもフェイク 
おカネもフェイク 食べ物フェイク 
言葉もフェイク 人生だけはワンテイク
名前も笑顔も会社もフェイク 財布の中身もアタマもフェイク
性別フェイク 話もフェイク 存在自体が…

 これぞ、正しく'空の思想'そのものだと思います。

最後に

さて。
もし、鉄をモノ(物質)と呼ぶならば自転車も、家族も、会社も、国家も地球も宇宙も全て物質だということができます。つまり、鉄はモノ(物質)だけど家族はモノ(物質)ではない、という考え方は人間の勝手なイメージや感覚であり、理屈的にはナンセンスなんですね。

 

今回のおはなしは、仏教の「空の思想」の入り口ではありますが、まだまだ本質的なところ(👉つまり、もっともっと面白いところ)には到底触れられていません。
今回紹介した、般若さんのフェイクの歌詞のラスト存在自体が…ってところが、正に仏教の一つの肝の部分であると僕個人は思っています。

 

世の中のありとあらゆるものは空なんだ、確固たる捉えられる確実なモノ(物質)などないんだ。
ここまでならば、まぁ百歩譲ればふーん、まぁそうかもねと受け入れることが出来ると思います。しかし、この議論を展開していくと、最終的に究極の問題にぶつかってしまうんです。すなわち、

 

私とは何か?

 

ここが空だと受け入れることができるのか?
そもそも今、僕らが感じている私とは確固たるものではなく、捉えることが出来ないのか?であれば、私はだーれーなのか?一体何者なのか?

 

次回はそんな話をしてみたいと思います。もの凄く楽しいですよ。
最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

 

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